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河村市長の南京発言

河村たかし名古屋市長が、友好都市である名古屋市を表敬訪問した南京市の劉志偉共産党市委員会常務委員ら8人に対し、南京大屠殺について、「戦闘行為があって多くの方は亡くなったが、いわゆる虐殺はなかった」と持論を展開した。

河村市長は2009年9月の市議会で、北京政府側が南京占領戦の被害者を30万人としている事に対し「深い疑問がある。誤解されて伝わっているのではないか」と一般質問に答えた。

名古屋市市長室国際交流課によると、河村市長は昨年12月5日、名古屋市役所を訪れた南京市の李副市長に対しても、大屠殺は無かったとする趣旨の発言をしている。

河村市長は22日、「私は私の意見を言う」と述べ、撤回しない意向を明らかにした。市長はまた「今後も(南京市と)積み重ねてきた交流を継続したい。自分も南京市に赴いて事情を説明したい」と述べた。

河村市長は言うべき事を言っただけで、何の問題も無い。
間違った事を言っていないのに、撤回する必要は無い。

一方、南京市政府の外事弁公室報道官は21日夜、河村市長の発言に関して「南京人民の感情を著しく傷つけた」と批判し、姉妹都市関係にある名古屋市との交流を一時停止すると発表。22日付の支那紙「新京報」や「京華時報」などは1面で交流停止を大きく報じているほか、インターネット上では河村市長の発言を批判する書き込みが相次いでいる。
交流停止とか駄々を捏ねれば無かったものをあった事に出来ると思われても、甚だ迷惑である。
日本人よ、卑屈にならずにもっと信念・自信を持て。


当時日本と戦った敵方の大将=蒋介石の言葉↓。
「南京に大虐殺などありはしない。ここにいる何應欣将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録してあるはずです。私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。松井閣下は冤罪で処刑されたのです」

1938年1月26日に開催された国際連盟理事会にて、支那代表の顧維均が我が国を非難し、「日本が南京を攻略した際、2万人を虐殺した。これに対し国連は断固行動をとるべきだ。」と主張したが、国連側は「そんな事実は有り得ない。証拠は?」と一笑に付している。

蒋介石軍による長沙での自国民20000人虐殺など、むしろ彼らが自分達で同胞殺しをやっているケースの方が多い。

また、我が国が無条件降伏した後に、日本人居留民が支那軍・朝鮮兵などによって大虐殺された 『通化事件』。戦争が終わった後に、祖国に引き揚げを希望していた日本人を元軍人・民間人の区別もなく何万人も虐殺した彼らに我が国を非難する資格は無いだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%8C%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6


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紀元節

本日は紀元節。所謂建国記念日です。

我が国の建国記念日は、西暦の紀元前661年旧暦正月元日に、初代神武天皇が即位された日です。
我が国は今日で、建国2,672年となりました。


紀元節、建国記念日は日本書紀の記述に因る。
1月28日にも書いたが、
最近の歴史学会では、日本書紀の記述を全否定する傾向があり、その為、初代天皇である神武天皇の存在をすら否定する傾向が顕著である。

多くの否定学者が主張するのが、神武天皇より九代開化天皇まで、高齢長寿の天皇が続く為、これは日本書紀の作者が、我が国の歴史を意図的に長く見せようとして捏造した架空の天皇である、と云う物である。
だが、よく考えて見れば良い。
常識的に考えて、我が国の歴史を古く見せようとして高齢長寿の天皇を9人捏造するくらいならば、一般的な年齢の天皇をもっと複数増やすのではないのか?
わざわざ後世に怪しまれる恐れのある様な中途半端な捏造をすると云うのは、ちょっと無理があるのではないか?

我が国には、『古事記』や『日本書紀』の他に、『上記』(うえつふみ)、『富士古文書』、『竹内文書』、『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)と云った古文書がある。
これらの古文書は、一般に偽書とされていてマトモに相手をする学者は少ない。
偽書説が確定している『東日流外三郡誌』は兎も角、他の古文書に関しては、非常にユニークで興味深い記事が書かれている。
日本書紀や古事記には無い、神武天皇以前の天皇が列記されているのである。

神武天皇が即位した紀元前661年は、我が国では考古学的な区分としては、縄文時代晩期に当たる。
その為、かつては縄文時代が原始時代然と認識されていた為に、その年代が否定されていた。
しかし近年の考古学の発展により、水田農耕こそ伝来前とは云え、縄文時代には既に縄文農耕が進んでいた事が明白となっている。

各地の縄文遺跡から、人的交流が広範囲に行われていた事も明らかとなっている。
貝塚と呼ばれる縄文時代のゴミ捨て場からは、大量の貝殻が出土されている。これは、小規模な集落で消費される量とは到底考えられず、養殖された貝を日干し等して長期保存用に加工し、各地へ商う為の食品加工工場の跡であったと考えられる。
青森県の三内丸山遺跡は縄文中期頃の遺跡であるが、この遺跡から当時の縄文人が数百人単位で集団生活を営み、雑穀や栗胡桃等などの農耕が行われていた事が明らかになっている。
ここでは一本の柱が直径一メートルを超える様な巨大な建造物を始め、五百を超える大小の建築物が確認された。これらの建造物の発見によって、およそ三十五センチメートルを単位とする縄文尺が用いられていた事が判明した。これらの発見は、この時代の土木建築技術が相当高度であった事が証明される。
この遺跡では他にも大人の墓列、子供の墓群、ゴミ捨て場、土器等が集中的に廃棄された盛土遺構、貯蔵穴群、粘土採掘跡などが確認されている。これらは、一定の場所に長期間作られており、計画的な集落都市造りが行われていた事が解る。
また、この遺跡からは秋田県でしか採れない天然アスファルトや、岩手県の琥珀、北海道の黒曜石や、新潟県でしか採れない翡翠等が出土している。これらの事からこの時代、既に全国規模での交易が行われていた事が証明されるのである。
近年、縄文式土器が遠く離れた太平洋の島々や中南米大陸等からも発見され、縄文時代の人々や文化が日本列島のみにに留まらず、広範囲に渡って交流を深めていた可能性も指摘されている。

つまり、縄文時代に既に我が国は、古代国家が出現しても全くおかしく無い条件が整っている。
むしろ、シュリーマンのトロイ遺跡発掘の例でも見られる様に、伝説の裏には何がしかの事実が根底にあるものである。
これを考えた場合、記紀に書かれていない神武天皇以前の天皇について書かれている、『上記』『富士古文書』『竹内文書』などの古史古伝が、必ずしも100%の"偽書"とは言えない可能性も出て来る。

我が国に天皇の歴史がある以上、初代の天皇が居るのは当たり前である。
しかるに、我が国の歴史教育においては、その初代天皇を教えていない。
世界中広しと言えども、自国の「初代」を教えていないのは我が国だけである。
この異常な状態を、早く改善する事が我が国の教育を改革する一歩であると思う。

北方領土の日

本日は北方領土の日です!

北鮮拉致問題や韓国による竹島侵略と並ぶ、我が国の三つの主権侵害事項です。
年々、ロシアによる実効支配が強まり、また我が国政府の無為無策ぶりも相まって、絶望的な状況が続いております。
ロシア(旧ソヴィエト)に因って侵略され不当占拠を受けている、千島列島と南樺太。
とりわけ、我が国不変の固有の領土である、択捉、国後、色丹、歯舞郡島の返還を必ず実現させる為に、我々国民の決意と覚悟が必要です!

今日を切っ掛けに、改めて、北方領土問題を思い起こしましょう!
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