スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

歴史に学ばざる愚者

韓国政府は、我が国の野田総理大臣が韓国大統領の李明博宛に送った、李明博の竹島上陸と天皇陛下への謝罪要求発言に遺憾の意を表明した『親書』を、我が国に送り返す方針を固めた。
一国の首脳が一国の首脳へ宛てた親書を送り返すなど、外交儀礼上、異例の非礼行為である。

韓国政府関係者は返送の理由について、大統領が訪問したのは、親書に書かれている「竹島」ではなく「独島(韓国名トクト)」であり、親書の指摘が「事実ではない」為との認識を示した。聯合ニュースによると、韓国大統領府高官も返送の方針に関連し、「事実ではない指摘について答えること自体が矛盾」と語った。

このニュースを耳にして、すぐに明治初期の日鮮外交史上の事件を思い出した。


明治元年(1868)12月19日、明治新政府の使節で対馬藩家老の樋口鉄四郎らが、釜山浦に入港した。明治新政府の樹立を朝鮮(李朝)に通告する為である。
しかし、大院君政権下であった朝鮮は、日本使節が持参した『国書』の受け取りを拒否した。
その理由は、第一に、文面に「皇上」「奉勅」の文字が使われている事。第二に、署名・印章ともにこれまでのもの(徳川幕府)と異なっている事、であった。
李朝の朝鮮からすれば、「皇」は中華の皇帝にのみ許された呼称であり、「勅」は中華の皇帝の詔勅を意味した。
朝鮮王は中華(清朝)皇帝の臣下ではあるが、日本王の臣下ではないので、この文字を使っている国書を受け取る事は出来ない、と云うのが李朝側の考えだった。
日本の明治新政府は、それ以後も度々使節を送って釜山での交渉を一年余り続けたが、李朝は一貫して、文書の表現や形式がこれまでの慣例とは異なる事を理由に、日本国書の受け取りを拒否し続けた。
これを機に、我が国では「征韓論」が浮上する事になる。

日鮮外交の最初のボタンの掛け違いである

業を煮やした明治政府は、ついに砲艦外交に打って出る。
明治八年、日本政府は雲揚などの軍艦を派遣。釜山や江華島などで砲撃戦が行われる事態となった。この事態に清朝が仲介し、明治九年に日鮮修好条約が調印された。
韓国側が、我が国による朝鮮侵略の第一歩と主張する事件である。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。と云う。

韓国政府の今回の親書の送り返しは、まさに明治初期の国書受け取り拒否と同じである。
歴史は繰り返す、と云う言葉があるが、だとすればこの行為が招く両国の将来は明らかである。その覚悟があってやっているのであろうか?

歴史に学ばない者を、愚者と呼ぶ。
スポンサーサイト
プロフィール

頑張れ日本!秋田応援団

Author:頑張れ日本!秋田応援団
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。