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指導者に求められる要素

先月、天皇陛下がフィリピンを行幸啓された。
日比国交樹立より六十年を記念しての事である。


フィリピンの故エルピディオ・キリオ第二代大統領は、大東亜戦争終戦から8年後の1953年、戦争犯罪者として死刑判決等を受けて服役して居た元日本兵全員を、恩赦を与えて釈放し帰国させた人物である。

戦争末期、日米の戦闘の主戦場となったフィリピンでは、日米の熾烈な戦闘に巻き込まれ、嘗ては東洋の真珠と謳われたマニラも破壊され、百万人ものフィリピン人も巻き添えとなって犠牲となったと云われて居る。
当時上院議員だったキリオ氏の家族も例外では無く、妻と三人の子供が戦闘に巻き込まれて殺害された。家族で生き残ったのは、二人の子供だけだった。
キリオ大統領は、そんな戦後の反日感情が渦巻く中で、国の舵取りを担う事となったのである。

大きな政治課題の一つが、マニラ郊外のモンテンルパ刑務所に収監されて居た、137人もの日本人戦犯受刑者の扱いだった。
この頃、キリオ大統領の元には、日本中からの沢山の、日本人戦犯受刑者の寛大な措置を願う嘆願書が送られて来て居た。

最愛の家族を日本人の手によって失ったキリオ大統領にとって、その憎しみを超えてその罪を赦す事が出来るのか?
悩んだ末にキリオ大統領が下した決断が、日本人受刑者全員の釈放だった。

しかし一方で、フィリピン国内からは反発の声が沸き起こった。
結局、この直後の大統領選挙では大差をつけられ落選し、キリオ大統領は政権の座から逐われる事となる。

当時、娘から「ママを殺した日本人達を何故赦すのか?」と問われたキリオ大統領は、
「私達は許す事を学ばなければならない」
と答えたと云う。
「フィリピンと日本は地理的に近く、切り離せるものではない。両国が協力し合う事は、我が国にとっても有益となるだろう」
と述べたキリオ大統領の肉声テープが残って居る。
恩赦から三年後の1956年、我が国とフィリピンは国交を樹立。今に続く友好の礎となった。

国交樹立から六十年を迎え、マニラを訪問した天皇皇后両陛下には、マニラ市民から日本語で「ありがとうございます」の声がかけられた。

決して親日とは呼べる国では無かったフィリピンと、現在の我が国との友好関係の陰には、この様な知られざる決断と努力の人物が居たのである。

何処の国と云うつもりは無いが、決して私利私欲や私怨では無く、大局的な見地で未来を見つめる目が有るかどうか。
国の舵取りを担う者に求められる大事な要素ではないだろうか。
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